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逃げ出したっていいじゃない

Alexey Ruban

人生の折返し40歳を迎えて、『終活』について考えてみた

に公開して、2019/03/01に加筆修正したColumnの記事

こんにちは。シイノキ(@info_misatopic)です。

今年で40歳を迎えました。
人生を80年と考えると、人間性の未熟さとは裏腹に、いよいよ折り返し。
健康でいられる時間、起きて活動をしている時間だけを見ると、あとどれだけの猶予があるのかと考えるほどに、人生の終わりの背中が見えきている気がしています。
2人の子どもが出来たのも、それを意識するきっかけになったかもしれません。
自分の生命はほぼ間違いなく、この子達を残して尽きるのだ。
ふと、そんなことを考える時間も増えた。

先輩方には「小僧がなに言ってんだ」と叱られてしまうかもしれないけど、終わらせ方を考えるようになったのです。
まだまだ現役でやっていく気は満々なんですが、遠くない未来に、必ずその時がやってきますからね。

シイノキ40歳
『終活』について考えてみた

2019年3月に、祖母が88歳の米寿を迎えます。
祖母は、時には卑屈に見えてしまうくらい、とても謙虚な人です。
「役に立たないのに長生きしてごめんね。」
「あたしはもう食う、使うしか出来ない。」

そんなことを言われるたびに、「役に立つ立たないなんていうふうに考えたこともないよ。長生きしてよ。」と声をかけます。
ガス代を稼いでないからと、風呂に入るのも遠慮するんだから困ったもの。

祖母は朝起きて食事をとったあとは、窓際の椅子に座って一日を過ごします。
デイケアサービスへ行く日以外は、ただただ時間が過ぎるのを待っているようにも見える。
なにかしら趣味のようなものもあれば時間の過ごしようもあるのかもしれないけど、働いて、家事をして、子育て(親父は最悪に手がかかったと思う)をしてと、激動の時代を忙しく生きた祖母には、そういったものに注ぐ余裕はなかったのかもしれない。
時間のある休みの日は、娘らを連れて徒歩0分の祖母の家に「調子はどう?」と顔を見に行く。
そのたびに、やっぱり
「長生きしてごめんね。迷惑ばかりかけて。」
と言うので、それを聞く僕は毎回困ってしまう。

祖母は、今よりも元気な頃に、『終活』という名の元に断捨離をしていました。
嫁入り道具であっただろう桐の箪笥を解体しては燃やし、着る機会のなくなった着物を捨て、カメラが趣味だった祖父の撮影した写真やネガもこっそりと処分していた。
自分が死んだあと、遺される僕らに遺品整理の手間をかけたくないという理由からだった。

義母の場合

妻のみさ子さんのお母さん、僕にとっての義母も同じ様子。
「あんたたちに迷惑は絶対にかけたくないから。生きてるうちに処分出来るものは処分する。」
と、よく言っています。
そんなことに時間を使うくらいなら、もっと楽しいことに時間を使ってくださいと言うのだけれど、あまり聞く耳は持ってもらえない。

莫大な資産があって、ややこしい税金対策が必要だというのであれば話は別なのだけど。
幸いなことなのか、不幸なことなのか、そういったものがないのだから、余生は楽しむために使って欲しい。

僕は、みんながいなくなったあとに少しだけ困りたい

彼女達の言っていることや、やっている『終活』を見ると、少し寂しくなる。
なにが寂しいのかと、改めて考えてみたら、少し答えが見えた気がしました。

多分、僕は彼女達がこの世を去った時、少しだけ困りたいんです。
社会的には価値のないような遺品を目の前にして、きっと少し困りたいのだ。

こんなもの、まだ取っていたのか。
なんでこれを大事にしていたんだろう?
これは誰のかな爺ちゃんのかな。
このメモはなんて書いてあるのかさっぱりわからないな。
なんでコレがあってアレがないんだよ!w

彼女達が遺したものをそうやって整理しながら、生前は知ることのなかった一面を知ることで、懐かしんだり悔やんだりしたいんだ。
そうやって、彼女たちの生と死に向き合いたい。

生命の終わりは、生命の現像

人の生命が終わるとき、遺された人達は悲しむ。(例外もあるにはあるだろうけど。)
みんなで集まって、故人を偲ぶ。一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌。節目節目に、故人が自分にとってどんな存在だったのかを思い返す。
故人が望むような姿形ではないかもしれないけど、きっと生きていた頃よりも強いコントラストで。

生命の終わりって、生命の現像なのだと思うのです。
『死』という強いインパクトをもって、故人の心と姿形を、遺された人達が心に焼き付けていく。
遺される人達の心には、それまで存在しなかった精神的ななにかしらが生まれる。
祖母や義母らの終活が、自分にとっての終活を僕に考えさせたように、何かを生むんです。
チープな言葉だけど、そうやっていつまでも生き続ける。

これが繰り返されていく先に生まれていくのが文化だったり文明だったりするのだろうと思う。

なので、僕は断捨離みたいな終活はしない

なので、決めました。
僕は断捨離的な終活は一切しない。むかーし買ったAVなんかも捨てないで死のうと思う。
「アホか!パパの性癖なんて知らずに生きていたかったわ!」
と、死後、娘たちが笑い合う姿を想像しながら生きていきたい。

思い出すと苦笑いをする程度の迷惑を沢山かけてやろう。
シレッと受け入れられてシレッと忘れられるなんて、数十年ももがいて生きた甲斐がない。出来るかぎり、捨てずに残していきたい。
残される娘たちには、自分よりも半歩でも前に進んでもらいたい。
ゴミのようなものでも、その材料になれれば嬉しい。

終活とは?
‘‘終活とは、終末期について考え、最期まで幸せな人生を送れるようにすることです。’’
https://syukatsulabo.jp/

祖母にも義母にも、家族に迷惑かけるとかかけないとか、長生きして申し訳ないとか、周りのことなんて考えずに最期までの時間を大事に過ごして欲しいです。
突然、電源を抜かれたかのように最期を迎えてしまう人もいるなか、余生を余生として過ごすことが出来ているだけで幸せなことですからね。

あーでも、あれだ。実家の某所に隠してある小学校時代の恥ずかしい日記だけは処分しておかなければ。
あと、楽器を始めた頃に書いた曲の譜面も燃やす。明日燃やす。

エンディングノート…!!
端から端まで『ウンコ』って書いて保存しておきたい。終活セットってなんやのソレ。
そんなもんまで他人に用意されなky(略

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シイノキずいぶんと先のことを考えてると、ふと
「そんなことより、この仕事の締切もうすぐじゃね」
とか思うんだ。生きるってのは、どうにもせわしない。

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