dropout!

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逃げ出したっていいじゃない

Alexey Ruban

NHK総合『SONGS hideの遺したもの』を見た

に公開して、2019/12/21に加筆修正したColumnの記事

こんにちは。シイノキ(@info_misatopic)です。
X JAPANのギタリストhideが亡くなったのが1998年。あれからちょうど20年。健在であれば12月13日の今日、54歳の誕生日を迎えていたはず。

そんなタイミング、2018年12月8日(土)の23:00〜23:30にNHK総合で『SONGS hideが遺したもの』という番組をやっていた。
何を隠そう、生前は結構なファンだったシイノキ。2008年のX JAPAN再結成&十周忌記念イベントhide memorial summitと、再結成ライブには参加したものの、彼の死後に彼を扱った番組や出版物は避けていた。
というのも、なんとなく向き合うのが嫌だったから。
あれから20年という時間が経ち、同じ時代に生きた吉井和哉氏、多大な影響を受けたMIYAVI氏、ほとんどリアルタイムで触れていないはずの乃木坂の生駒さん
hideが3人の中に何を遺したのかが気になり、なんとなく見てみました。

シイノキ40歳、hideと出会ってからの28年間を回想する

12歳のシイノキとhideが出会った

中学の時、幼馴染のヤンキーがXのセカンドアルバムJealousyを貸してくれたんです。すごいから聴いてみろと。
ジャケットは磔にされた髪の長い半裸のお兄さん、裏面には顔にヒビの入ったお兄さんやらプロレスラーみたいなお兄さんやら、ジャックダニエルのTシャツ着た腹筋途中みたいなお兄さんやらがいて。
ファーストインパクトは、『なんじゃこりゃ!』
なんせ、それまで小3からほぼ長渕剛さんだけを聴き続けてきていたので。
その衝撃たるや。

再生をすると、1曲目からピアノのインスト。
てっきりヴォー!!みたいなヘヴィメタ・デスメタ系だと思い込んでいたので拍子抜け。
2曲目のSilent Jealousyのピアノスタート。ふーんと思っていたらギターリフが始まり、TOSHIのハイトーンボーカル(この頃が一番好き)、クライマックスのギターソロに向かってドラマチックに盛り上がっていく楽曲。ケツの辺りから始まった鳥肌が頭頂に向かってゾワゾワと昇りつめていく。
PATAとの美しいユニゾン。TAIJIのベースもクッソ格好良かった。
聞き終わった瞬間は、「プハー!!」って感じ。あの時、12歳のシイノキは
呼吸をしていたんだろうか。していなかったんじゃないだろうか。

道を歩いてたら横から布団の塊が突っ込んできて、それまで歩いていたレールからすっ飛ばされて別のレールに乗せられたかのような衝撃でした。
ドスァン!!っつって。
その後はそれまでの楽曲や映像を漁りまくって、どっぷり。
メンバーの中でもひときわ奇抜な存在感を放っていたHIDEの一挙手一投足にハマりました。

その後のX解散は残念だったけれど、ソロ活動を活発化していたhideがいたので、それほどショックはなかったのです。
HIDE YOUT FACEももちろん、PSYENCEの楽曲で「この曲はいまいちだな」という曲は1曲もなかったし、なにをおっぱじめても鳥肌モノ。
そろそろ40歳になるけれど、あれほど心酔出来たものは他にはないし、この先もおそらくないと思う。
胸を張って『好きだ』と言える存在が、あの体験の他にはいまだにない。

そんな折、突然訪れた1998年5月2日の事件。
ニュースを最初に目にしたのがネット。当時、この少し前にインターネットに流れていたエリック・クラプトン死亡説と同じように、最初はガセネタだろうと思ってスルーをしていた。
なんとなしに付けたテレビに映し出されたのは、泣き崩れるファンの姿。
冷静沈着を自負していた19歳のシイノキですが、この時ばかりは激しく動揺。情報を得れば得るほど、hideが死んだという事実が輪郭をハッキリさせていき、平静を装うことなど出来なくなり、一緒にいた当時の彼女を部屋から追い出しました。
ガタガタ震えていたように思う。

死因はどうでも良かった

世間は自殺だ事故だと騒ぎ立てていたけれど、個人的にはどっちでも良かったです。
自殺も事故みたいなもので、どんな人でも一瞬の判断ミスとハプニングとが重なればありえなくもないし、原因がなににしろ、いなくなってしまったことには変わりがないから。
彼があの先に企んでいたことは間違いなく面白いことだったし、きっと日本の音楽史を変えることになったはずだった。俺はそれが見たかった。
彼も俺もみんなも無念で、それがどうしようもなく哀しかった。

彼の活動はエンターテイメントそのものだった。
死後発表されたピンクスパイダーは、「この先は自分のジェットで飛んでいけ」と言っているように聴こえてはいたけれど、あまりの喪失感で当時は勝手なことを言うなという怒りすら覚えていたりした。

【SONGS hideの遺したもの】吉井和哉氏

同じ時代に活動していたミュージシャンとして、彼の音楽性と人柄をとても愛しているようでした。
楽曲に自ら酔っていない謙虚さと、相反するルックスとのバランスがすごく好きだったと。1998年5月2日はツアー中で、その日のステージではhideも好きだった『球根』を彼に贈ったそうです。
hideのソロの楽曲にはマーケットへの名刺代わりの曲と、かつてのロック少年時代への自分への『これどうよ?』みたいな曲とか混在していて、『球根』はきっと後者の方向性とリンクする部分があったのかななんて思ったり。
中学時代、コアなファンの同級生がいて「あんたHIDE好きなの?HIDEのなにしってんの?!」って怒られたの思い出した。

THE YELLOW MONKEYも好きです。
好きな曲は、『球根』、『SO YOUNG』、『聖なる海とサンシャイン』、『ピリオドの雨』、『シルクスカーフに帽子のマダム』
お腹が空いた・なんか甘い物食べたいという妻に向かって「指でもしゃぶってろ」「砂糖でもなめてろ」というのは『シルクスカーフに帽子のマダム』の歌詞
“一番きついテキーラをちょうだい なきゃなんでもいいよ ガソリンでもいいよ”
という一節の影響だと思います。だいぶ曲解したうえに乱暴にブン投げてますが。

【SONGS hideの遺したもの】生駒里奈さん

アイドル文化を一切知らないシイノキ。この子のことも新しいストレッチマンピンクの子という印象しかなく、年齢を調べてみると95年生まれ。hideが旅だった98年5月は2歳。ギリギリ会話が出来るか出来ないかの頃!
高校生の頃にhideの楽曲に出会い、その新鮮さに衝撃を受けてファンになったんだとか。
死後20年経っても時代に褪せることのないファッションセンスにも感銘を受けているとのこと。現在の業界の流れの一端はhideが作ったと言い切っていた。

似せようとしても似ない
同じことをしようとしても出来ない
圧倒的なカリスマ

彼をそんなワードで表現していました。

2008年のhide memorial summit。
幸運にも複数のチケットが取れてしまったシイノキは、ネットでチケットを譲る相手を探しました。もちろん定価で。
当時20歳くらいの女の子に売ることにして、なんでhideを?と聞いてみたんです。
「hideが生きていた頃のことは覚えてない。でも、出会った瞬間から頭から離れなかった。」
と言ってた。とても嬉しかったので、オッサンの手垢のついたチケットだからと安く譲った。
20歳くらいの可愛い女の子だったからっていうのもあるっちゃある。4割。いや、6割くらい。うそ、7割くらい。

なんだろう。大切にしてきた掛け軸を、ふと出会った自分の子どもくらいの若い子に「うおー!素敵ですねコレ!」って言ってもらえたお爺ちゃんみたいな気持ちなのかな。
hideが世代を超えて愛されていることがシンプルに嬉しい。
生駒さん、いや、生駒ちゃん推す。おじさん生駒ちゃん推すよ。

【SONGS hideの遺したもの】MIYAVI氏

MIYAVI氏はスラップ奏法が特徴のギタリスト。
メジャーデビューは2004年と新しめのアーティストだけど、いまや活躍の舞台は世界。
一時期、熱狂的なhideファンの一部から、hideのパクリだなんだのと叩かれていた記憶があるんですが、
「彼の描いていたもの描きたかったものを、彼を愛した人たちに見せたいと思った。でも、どうあがいても彼にはなれないし、自分のアイデンティティを見失ってもがいていた。」
と語っていました。

hideは亡くなる前にzilchというバンドで世界デビューを計画していました。
死後、アルバムもリリース。歌詞はすべて英語。日本語に聞こえる英語みたいな言葉遊びも健在で、初めて聴いた時はやっぱり「これがスタートだったんじゃないの?なに遺作にしてんの?!」という怒りが最初にきたけれど。
解散直前のXもそうだったし、だからこそだったのかもしれないけど、世界を視野にいれたhideの活動はMIYAVI氏に大きな影響を与えたそうです。

骨髄バンクに登録していたhideの社会貢献活動も評価していて、自分達の使命のひとつだと。
MIYAVI氏も、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の、日本人初となる親善大使として活動してます。
hideは、骨髄バンクに登録したことを知らせる記者会見を開いたマネージャー(実弟)を「これじゃ売名行為じゃねぇか」とボッコボコに殴ったそうですが。本当のエピソードかどうかは知らない。

そんなMIYAVI氏が発表した、ピンクスパイダーでのhideとのコラボMV。
hideへのリスペクトが伺えるポジション取りとアレンジ、映像。hideのカバー、トリビュートは数多く出ていますが、個人的には布袋寅泰氏のROCKET DIVEに次ぐくらい好きです。

【hideの遺したもの】そしてシイノキ

つい、アツく語りこんでしまった。
自分が好きなものを他人にも好きになってもらおう!という意識があまりないので、普段はそれほどファンであることも自ら公言はしないし、別にどれくらい好きなのかを伝えたいとも思わないのだけれど。
今回のSONGS出演者の3人はもちろん、hideが遺したものは確実に自分の中にもあるわけで。
それはやっぱり何かしらの形でアウトプットしていくべき、彼が生きていた証を自分も遺すべきなんじゃないかと。hideと出会わなかった自分では出来ないこと、hideを好きになった自分だから出来ることってのを少し考えたくなりました。

自分が最も共感を感じているのは、
「あのとき君が感じたワクワクと 今僕が感じているワクワクとは同じだと思ってるんだ。
このアルバムをそれを確認するために作ったような気がするんだよ。」

と、自らの活動を、ロックに出会って衝撃を受けた少年時代の自分へ向けていたところなんです。

何者かになりたかった少年シイノキに向けて、
「ほら、お前がやりたいことってこういうことだったろ?」
っていう活動やアウトプットを、自分もしていきたい。それを世の中が評価してくれるのか、してくれないのかはまったくわからないけども。
「おっさんになった俺、なかなかやるな…」
と思ってもらえれば、それでいいのだろうな。
そんな生き方をしていくことが出来たら、それはきっとhideが俺の中に遺してくれたもののおかげなんだろうと思います。

ただ、少年シイノキはもうどうしようもないくらい厨ニで根っこからヒネくれていて鬱積していて、学校から自転車で帰ってきて家に着くなり自転車をブロック塀に投げつけたりして「なんだかわっかんねぇけど!!ぬぁー!!!!クソ!!!!!!」ってなっていたような子で、一筋縄ではいきそうにありません。
親に話を聞いて欲しかったという思いも強かったので、まずはなりたかった親になりたいかな。

【おまけ】好きな曲TOP5

1.BLUE SKY COMPLEX – HIDE YOUR FACE
2.POSE – PSYENCE
3.FUCTRACK #6 – zilch
4.Doubt(Remix version) – HIDE YOUR FACE
5.ピンクスパイダー – Ja,Zoo

他のも大体好きなんだけど、便宜上ランクをつけるとこんな感じ。
BLUE SKY COMPLEXは聴こえてくると、普段は穴ボコみたいな目をした僕がテーブルを叩いてウッキウキします。
LINEのプロフィールページのBGMにも設定しているくらい大好きです。
5位にはeverfreeを入れるかどうか悩んだ。
ピンクスパイダー、ROCKET DIVE、everfreeの三部作はジャケットからなにからもう。
全部触れたらキリないから、もういっそこれ以上触れない。

ちなみに、hideのことはよく知らなかったけど読んだら興味出ちゃったヨ!って方が万が一いらっしゃいましたら、彼のスタイルはパフォーマンス込みのステージでこそ至高だと俺は思うので、入門は3枚出ているライブ版アルバムもしくは映像音源をオススメしたいです。
カンブリア紀ってこんな生き物がいたの?!マジ?!
みたいな感覚で、肝抜かれると思うの。

ファンの方いたら、絡んでもらえたら嬉しいです。
@info_misatopic

さいごに

2018年12月13日。
hideさん54歳の誕生日おめでとうございます。

あと、SONGS番組制作スタッフのみなさん、ありがとうございました。

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シイノキ

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